大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和32年(ワ)4362号 判決

原告 赤田止夫

被告 株式会社大阪相互銀行

主文

被告の原告に対する大阪法務局所属公証人上床達夫作成第一二九、一五一号相互掛金弁済契約公正証書の執行力ある正本に基く強制執行はこれを許さない。

訴訟費用は被告の負担とする。

本件に付いて、さきに当裁判所の為した強制執行停止決定はこれを認可する。

前項に限り仮にこれを執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め

その請求の原因として

大阪法務局所属公証人上床達夫が昭和三〇年七月二九日作成した第一二九、一五一号相互掛金弁済契約公正証書によれば、「原告は訴外宍戸一郎が被告に対して負担する債務金一六六、六〇〇円に付いて右訴外人を連帯保証し、右訴外人が期限に右債務を弁済しないときは原告は右債務について強制執行を受けても異議がない旨の認諾をした。右公正証書は被告並びに右訴外人の代理人等及び原告の代理人中尾勇長の嘱託によつて作成した」旨の記載があり、被告は右訴外宍戸が右債務のうち金一五四、七〇〇円の弁済を遅滞したことを理由として昭和三二年五月三〇日右公正証書の執行力ある正本に基いて原告に対して、右債務額について強制執行をした。

しかしながら、(1) 本件の公正証書は原告の妻赤田テルヱが原告の委任状を偽造して被告に交付し、右偽造委任状を行使して被告が公証人に作成を嘱託して作成されたものである。従つて右公正証書の原告に関する部分は原告から作成方嘱託のないものとして無効であるばかりでなく、実体法上も、原告は被告に対して何等の債務も負つていないので、右公正証書に基いて原告に対して強制執行をすることは不適法である。

(2) 仮りにそうでないとするも、本件の公正証書は民法第一〇八条の規定に反する手続で作成されたものであるから無効である。即ち、右公正証書の作成について原告の代理人となつている中尾勇長は被告の使用人であつて本来被告を代理する権限ある者であるところ被告と利害相反する相手方である原告の代理人となり公証人に対して公正証書の作成方を嘱託している。しかしながら、右公正証書の重要な内容である債務額については、前述のように原告の委任状を偽造した原告の妻テルヱさえも、その数額を予め告知されていない。右テルヱは訴外宍戸から金一〇〇、〇〇〇円の債務について原告名義で保証せられ度い旨の依頼を受けてこれを承諾し、前述のように原告の委任状を偽造したものであるところ、本件の公正証書作成に用いられた委任状には債務額は前述の金一六六、六〇〇円と記載されている。右のように、訴外中尾は被告の代理人として被告の為めに右債務額を原告に無断で決定し、他面原告の代理人として右債務額の決定右公正証書作成嘱託等の行為をしている。そして右訴外人の原告を代理する行為は単なる機械的事務に属する事実行為の代理ではなく、当事者の権利義務に影響ある意思表示の代理であるから、利害相互する当事者双方を代理することは民法第一〇八条によつて許されない。従つて右代理によつて作成された本件公正証書は無効である。

(3) 仮りに原告の妻テルヱが前記保証行為をするに付いて原告を代理する権限があると被告に於て信じていて、且つ被告がこのように信ずるに付いて正当な理由があつたとするも、公正証書による強制執行を受けても異議がない旨の認諾は、その性質上訴訟行為に属するところ、訴訟行為には民法のいわゆる表見代理に関する規定の適用がないので、右強制執行の認諾部分は原告の認諾としての効力がない。従つて右公正証書に基いて原告に対して強制執行をするのは違法である。

よつて右公正証書の執行力ある正本の執行力の排除を求むるため本訴に及んだと述べ

(4) 被告の抗弁事実を否認し、

立証として甲第一、第二、第三号証を提出し、証人宍戸一郎、同赤田テルヱ、同秋庭重信並に原告本人の訊問及び証人宍戸一郎の再訊問を求め、乙第一号証及び第三号証は不知、同第四号証は印影のみは認めるがその余の部分は不知、その余の乙号各証の成立を認めると述べた。

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、

答弁として

原告主張の公正証書に原告主張のように原告が被告に対して連帯保証債務を負担する旨及び強制執行を認諾する旨の記載があること、右公正証書作成について原告を代理した中尾勇長が被告の使用人であること、被告が右公正証書の執行力ある正本に基いて原告に対して強制執行をしたことは認めるが、原告その余の主張事実は否認する。

(1)原告は被告に対して実体法上債務を負担して居り、本件公正証書は偽造ではない。即ち訴外宍戸一郎は昭和二九年八月一四日被告との間に満期日を昭和三一年三月一三日とする一口の契約額金一〇〇、〇〇〇円二〇ケ月払の相互掛金契約三口(福号第一九三号乃至第一九四号)を締結し、昭和三〇年二月二八日第七回目の入札において第一九三号及び第一九四号の二口を落札して額面額の給付金の給付を受けた。そこで、訴外宍戸は右給付を受けて以後は、一〇萬円一口について、毎月掛増金九五〇円を加算した掛込金五、九五〇円宛を満期まで一三ケ月間、合計金七七、三五〇円、二口分の合計金一五四、七〇〇円を被告に掛込む義務があるところ、原告は右訴外人の被告に対する掛込金債務について訴外人を連帯保証したので、原告は被告に対して実体法上右債務を負担しているわけである。そして原告は右保証債務について本件公正証書の作成を委任する委任状を作成して被告に交付したので、右公正証書は原告から委任を受けた原告の代理人により公証人に作成方を嘱託され、適法に作成せられたものである。

(2)本件公正証書の作成は民法第一〇八条に違反しない。訴外宍戸は被告から給付金の交付を受ける先立つて、原告を同訴外人の連帯保証人とする旨を申込んだので、被告の係員中村勉は右訴外人に対して訴外人及び原告の印鑑証明書及び公正証書作成委任状の交付方を要求し、予て被告において印刷用意している公正証書作成委任状用紙を右訴外人に交付した。右委任状用紙は委任事項の条項と委任文言及び委任者の署名が一体となつている書面であつて、原告方の代理人として中尾勇長の姓名をゴム印で押印ししかも公正証書作成の基本となる条項の白地の箇所はすべて補充済みのものであつて、原告側としては主債務者及び保証人の住所氏名を記入捺印すれば委任状として完成するようになつていた。訴外宍戸は原告の印鑑証明書を添えて右委任状用紙に原告の記名捺印を受けたものを被告に交付した。従つて原告は右公正証書作成について原告を代理する者、及び委任事項を承知して右委任をしたものであつて、右公正証書作成についての訴外中尾の原告を代理する行為は、法律行為の代理ではなく、機械的事務に属する事実行為の代理である。従つて民法第一〇八条違反の行為には該当しない。

原告は訴外中尾が債務額の決定について双方を代理したと主張するが、原告が保証の限度額を金一〇〇、〇〇〇円とする旨の制限をしたのが真実であるとしても、右意思表示をした相手方は訴外宍戸一郎であつて、被告ではない。訴外宍戸は原告の代理人として前記委任状を被告に交付し、これによつて前記のように確定した金額の原告の保証債務について訴外中尾に公正証書作成方の委任をしたことになるから、訴外中尾は右債務額の決定その他保証契約の締結については原告を代理していない。単に公正証書作成事務の代理をしているに過ぎない。

(3)仮りに本件の保証契約の締結及び公正証書作成の委任を原告が自ら為したのでなく、原告の妻テルヱがしたとしても、右テルヱの行為は原告を代理する行為として原告のためにその効力を生じたものである。即ち原告は布施市会議員の職にあつて多忙なため家計全般を妻テルヱに委任し、原告の実印も妻に預けていた。妻テルヱは原告を代理して原告名義の銀行取引も常時行つている。従つて原告の妻テルヱは原告から原告を代理して本件の保証契約の締結及び公正証書作成の委任をする権限を委ねられていたのであつて、これら行為は右代理権限内の行為として原告の為めに有効である。

(4)仮りに原告の妻テルヱの右保証契約の締結及び公正証書作成の委任が、原告を代理する権限の範囲を超過していたとするも、右行為はいわゆる表見代理行為として原告のために効力がある。既に述べたように右テルヱは元来原告を代理する権限があり、たまたま右事項が右代理権の範囲を超えていたものであるところ、被告はテルヱに原告を代理して本件の保証契約を締結し公正証書作成を委任する権限があると信じて、右テルヱとの間に前記契約を締結したのであつて、且つ、被告が右のように信ずるについては前述の諸事情から正当な理由があるので、原告は右保証責任を免れることはできない。

仮りに原告の妻テルヱが原告を代理して右各行為をする権限がなく、全くの無権代理行為であつたとするも、原告は(イ)昭和三二年五月二四日頃被告の係員中村勉に対して、訴外和田代書人を通じて本件保証債務を分割して被告に支払う旨を申入れ、(ロ)同年八月三日頃被告の職員中村一郎と布施駅で出会つた際に、本件保証債務について原告が責任を負うから分割払にして貰い度い旨を申入れ、(ハ)同年八月五日頃被告の布施支店においては、山崎支店長を訪れ、本件保証債務に対して原告が責任を負うから、頭金を金五〇、〇〇〇円、残額は毎月三、〇〇〇円乃至五、〇〇〇円宛の分割払にして貰い度い旨を申入れ、(ニ)同月十日頃被告係員中村勉に対して右と同様の申入れを為し、もつて妻テルヱの無権代理行為を追認した。右追認によつてテルヱの行為は原告を代理する行為としての効力を生じ、前記保証契約及び公正証書作成の委任は原告に対して効力があることになつた。従つて被告は本件公正証書の執行力ある正本に基いて原告に対して強制執行をすることができると述べ

立証として乙第一乃至八号証を提出し、証人宍戸一郎、同中村勉、同中村一郎、同山崎寿城、同中尾勇長、同村尾捨松の訊問を求め、甲号各証の成立を認めた。

理由

成立に争のない甲第一号証によれば、大阪法務局所属公証人上床達夫が昭和三〇年七月二九日作成した第一二九、一五一号相互掛金弁済契約公正証書に、「訴外宍戸一郎は被告に対して既に給付を受けた相互掛金契約の掛込金として金一六六、六〇〇円の債務を負担し、昭和三〇年三月から昭和三一年三月まで毎月一三日限り一回金一一、九〇〇円宛分割支払う義務を負い、右分割金の支払を二回遅滞したときは期限の利益を失い全額即時支払う義務がある」旨及び「原告は右訴外人の連帯債務者となり右債務の不履行の場合は催告を要せず直ちに強制執行を受けても異議がない旨の認諾をした」旨の記載があること明らかである。そしてその債務額は金一五四、七〇〇円の誤記であることは被告の自認するところである。被告が、訴外宍戸及び原告の債務の不履行を理由として右公正証書の執行力ある正本に基いて昭和三二年五月三〇日原告に対して右債務全額に付いて強制執行をしたことは当事者間に争がない。

そこで、右公正証書が作成されるに至つた経過について判断するに、成立に争のない乙第一、第四、第七号証及び甲第一号証と証人宍戸一郎(第一、二回)、同中村勉、及び赤田テルヱの各証言を綜合すれば、訴外宍戸一郎は昭和二九年八月一四日被告経営に係る相互掛金契約福号第一九三号乃至第一九五号の三口(一口の契約額面金一〇〇、〇〇〇円、満期昭和三一年三月一三日二〇ケ月払)に加入し、昭和三〇年二月二八日右契約の第七回給付の際に第一九三号及び第一九四号の二口について給付金の給付を受けることになつたこと、右掛金契約の加入者は給付金の給付を受けて後は満期迄毎月掛増金を加算した掛金債務のみを負担することになつているので、(右訴外人宍戸の場合は昭和三〇年三月から昭和三一年三月まで毎月一三日限り一ケ月金一一、九〇〇円宛合計金一五四、七〇〇円の支払義務)給付金の給付を受けようとする加入者は、右給付を受けるに先立つて予め右掛込金債務について加入者を保証する連帯保証人を定めて本件の場合のような公正証書を作成した後でなければ給付を受けられないこと、及び訴外宍戸一郎は前記二口の給付を受けるに付いて右給付後の同訴外人の被告に対する債務に付いて原告に連帯保証人になつて貰おうと考えて、昭和三〇年二月中旬頃原告の妻テルヱに対して、右債務額は約金一〇、〇〇〇円であるから原告に右訴外人の連帯保証人になつて貰い度い旨を申入れたところ、テルヱは原告に相談することなくこれを承諾して原告の印鑑及び印鑑証明書を訴外宍戸に交付したので同訴外人は、原告を代理して公正証書の作成に立会う者の氏名、債務額その他公正証書の条項の完全に記載されている公正証書作成委任状に原告の氏名を記入し、その名下に原告の印鑑を押捺して、右委任状を完成した上、被告の係員にこれを交付したので、被告は右委任状を用いて公証人に本件の公正証書を作成させたことを認めることができる。

次に原告の妻テルヱが原告を代理して右のような保証契約を締結し、これについての公正証書作成の委任をする権限があつたかどうかについて判断するに証人赤田テルヱの証言及び原告本人訊問の結果を綜合すれば、原告は布施市会議員で公務多忙であつたために、原告の家計全般を妻テルヱに委ねて、原告名義の銀行取引も妻テルヱがこれを取あつかつていたことが認められるので、テルヱは原告の家計の必要又は家計上の入費でなくても原告の家族の必要のための金銭の調達(例えば原告の選挙資金)については原告を代理して債務を負担する代理権限があつたと認められるが、家族以外の者の必要のために原告を代理して主債務者又は保証債務者となる代理権限はなかつたと認めるのが相当である。被告の全立証によるも右認定を覆すに足る証拠はない。そうして見れば、原告の妻テルヱはその原告を代理することのできる権限の範囲を超えて前記の保証契約を締結し、公正証書作成の委任を為したわけである。

公正証書によつて強制執行を受けても異議ない旨の認諾をする行為は訴訟行為であるので、民法のいわゆる表見代理に関する規定の適用はない。従つて前認定のように原告の妻テルヱが原告を代理することのできる権限を超えて原告の代理として公正証書作成を委任した本件の場合には、仮りに右公正証書の規定する前記保証契約その実体法上の原告の義務に関する諸条項が表見代理の法理によつて原告について有効であるとしても、右委任に基いて作成された公正証書の前記強制執行認諾の条項に関する限り、原告について有効でなく、原告に関しては本件公正証書は右認諾条項のないものとして取扱わねばならない。被告は原告がテルヱの公正証書作成委任行為を追認したから右委任が原告を代理してしたものとして有効となり、右強制執行認諾条項も原告の認諾としての効力を生ずると主張するが、訴訟行為の追認はその行為の相手方に対して為すべきものであるところ、本件の場合に訴訟行為としての強制執行の認諾は債務者が公証人に対して為すものであるから、原告が公証人に対してしなければ追認の効果は生じない。そして本件公正証書の作成以前に原告がテルヱの公正証書作成委任を追認したことについては被告はその主張も立証もしていないのであるから、仮りに原告が右公正証書作成後に被告に対して右委任の追認をしたとしても、それは訴訟行為としての強制執行認諾の追認にはならない。原告が右追認の効果として被告に対して実体法上の保証債務を負うことがあり得る点は別として、右公正証書作成後の追認があつたからと言つてこれによつてその認諾条項が原告に関しても有効となり、引いては右公正証書の執行力ある正本が原告に対する債務名義として有効になる道理はない。

以上のように本件公正証書の執行力ある正本は原告に対する債務名義として有効でないので、その余の点について判断するまでもなく、右正本の執行力の排除を求める原告の請求は正当である。よつて原告の請求を認容し、民事訴訟法第八九条、第五四八条、第五六〇条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 長瀬清澄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例